心身の傷病がなくても慰謝料が発生する

安全配慮義務違反で珍しい判決

東京地裁で今年610日、長時間労働を放置したとして、企業の安全配慮義務違反を認定した判決がありました。

今回の判決が珍しいのは「過労死ライン」に満たない月3050時間の残業で、かつ、心身の傷病が未発症にも関わらず、安全配慮義務違反が認められたという点です。

 

【裁判の概要】

生命保険大手のアクサ生命保険の社員が、長時間労働の放置などを問題視して、会社側に100万円を求めたというものです。

6月10日の東京地裁判決は、社員側の主張を一部認め、同社に安全配慮義務違反があったとして、10万円を支払うよう命じました。

原告社員は病院で「抑うつ状態」と診断されたなどとして、心身の不調を主張しましたが、裁判所は「医学的証拠は乏しい」と判断。そのうえで、次のように述べています。

「具体的な疾患を発症するに至らなかったとしても、1年以上にわたって、ひと月当たり30時間ないし50時間以上(18時間超過分と週40時間超過分の合計)に及ぶ心身の不調を来す可能性があるような時間外労働に原告を従事させたことを踏まえると、原告には慰謝料相当額の損害賠償請求が認められるべきである」

 

 

心身の傷病について医学的な根拠がなくても、長時間労働による慰謝料を認めた判例として、無洲事件(東京地裁平成28530日判決)と狩野ジャパン事件(長崎地裁大村支部令和元年926日)がありますが、この2つの判例では、前者が月平均80時間超の残業、後者が月平均約130時間の残業、いわゆる「過労死ライン」を超えていました。

ですが今回は「過労死ライン」を超えておらず、月3050時間の残業で慰謝料が認められたのです。その理由としては以下の個別事情が影響したと思われます。

 

・労働組合が長時間労働について苦情を出したうえ、アンケート調査なども実施していた
2017年、原告社員のいた営業所が立川労働基準監督署から残業代未払いなどで是正勧告を受けていた
2017年、育児に伴う短時間勤務が認められているのに、長時間労働になっていることを支社長に相談したが改善されなかった
20185月まで、残業に関する36協定が締結されていなかった

 

会社側は長時間労働の実態などを知りながら、事実関係の調査や改善を行わず、放置したと判断されたということでしょう。

この裁判はもともと、残業代請求事件として、2017年に提訴されていました。安全配慮義務違反は途中から加えられた争点で、当初は「事業場外みなし労働時間制」が適用されるかどうかが争われていたようです。

会社側は判決前の今年3月「原告の主張を認めたわけではないが、事件を早期解決するため」という趣旨で、未払いの残業代、約800万円の支払いに応じました。これにより、原告社員は残業代請求を取り下げ、慰謝料だけを請求する結果となりました。

100万円の慰謝料請求が10万円とは費用倒れともいえる結果ではありますが、いずれにしても今回の司法判断は、今後、長時間労働の抑止に影響が出てきそうです。

 

「事業場外みなし労働時間制」
営業マンなど、使用者の指揮監督が及ばず、労働時間の把握が困難な社員などについて、あらかじめ何時間働いたものとみなす制度です。運用次第では「働かせ放題」にもなりかねません。